2016年12月16日金曜日

広告業界は嫌われものになったのか。


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「太田さん、このままだと、みんな広告業界を嫌いになってしまいますよ!」

ある編集者から11月中旬にそう言われたことが忘れられません。その後、一連のまとめサイト問題、今週のテレビ局のステマ番組という記事。これ以上PR・広告業界が悪者になるのは耐えられないと思い、久しぶりにブログを書きました。

私は2009年に藤代さん(現・法政大准教授)や、徳力さん(現・アジャイルメディア・ネットワーク取締役CMO)、総合広告代理店やPR会社、メディアの方々と一緒に口コミマーケティングの業界団体であるWOMマーケティング協議会を立ち上げ、僭越ながら2年間、初代理事長を務めさせていただきました。PPP(Pay Per Post)なるステマブログを撲滅したいというのが動機でした。2014年からはJIAA(日本インタラクティブ広告協会)ネイティブ広告部会のリーダーとして、広告表記なしのネイティブ広告をなくしたくてガイドライン策定やセミナー運営に携わらせていただきました。本業はビルコムというPR会社で企業のマーケティングコミュニケーションを支援させていただいています。

本業以外に、私がこのような業界団体の活動に多少なりとも人生の一部を投じてきたのは、業界の悪者を懲らしめたいとか、消費者の不利益を生み出す仕組みを撲滅したいといった正義感だけではありません。私の目的は、口コミマーケティングやインターネット広告の市場を健全に発展させることで、当社も含む市場の全プレイヤーに経済的な利益を生む状態をつくるといった、経営者としては極めて合理的な判断に基づくものです。企業は営利を追求する組織だから、業界団体が営利を阻害する団体であってはならないというのが私の考えです。

では、なぜ口コミマーケティングやネイティブ広告のガイドラインを作ったのか。それは、利益を追求するという目的関数に対して、制約条件となるルールをつけなければ”継続性”が担保できないからです。

ルールなき利益の追求は破綻する。

ネイティブ広告のガイドラインを作る過程で、あるアドテク事業者の代表者が、「ガイドラインを作ってそれを強制するようになったら資本主義ではない」といった趣旨の発言をされていましたが、それは明らかに私の考えとは異なっています。資本主義を標榜するからこそ、制約条件といったルールを作る必要があり、そのルールがあるから企業は継続的に利益を出すことができる。制約条件なき利益の追求は自滅に向かっていくと思うのです。

利益を継続的に出していくためには、「目的関数と制約条件がセット」でなければいけない。

私がそういう考えを持つようになったのは、青山学院大学大学院国際マネジメント研究科(ABS: Aoyama Business School)に進学したことが大きいです。入学年は2009年。2008年9月15日に起こったリーマンショックの翌年で、MBAホルダーが制約条件なき利益の追求に走った結果、サブプライムローン問題を引き起こしたと欧米のビジネススクールに批判が集中していたときでした。

私は、2008年に「経営財務入門」という書籍に感銘を受けました。著者は井手正介先生と髙橋 文郎先生の共著で、経歴をみると二人とも青山学院大学ビジネススクール(ABS)の教授でした。この二人から指導を受けたいと思い、私はABSに進学することにしました。

井手正介先生の授業は「コーポレート・ガバナンス」でした。夏季集中講座のような形で、5日間毎日、数冊の課題図書が出され、課題に対する自分の意見を求められる非常にハードな授業だったと記憶しています。事前課題の一つに下記の設問がありました。

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設問:株式公開企業のガバナンスの2大構成要素は、収益責任(価値創造)の推進とコンプライアンス責任のまっとうにあると考えられます。わが国でも株主価値重視経営が急速に浸透し、同時に企業の社会的責任(CSR)の遵守を含むコンプライアンス機能の重要性も高まっています。しかしこれらの二つの機能は、どちらかを追求すればもう一つも自然に達成される「予定調和」の関係というよりは、あちら立てればこちら立たずの「トレードオフ」の関係にあることも多いと思われます。そこで、公開企業の経営者は、どちらを「主」に、どちらを「従」に位置づけて経営すればよいのか、迷うところです。収益責任とコンプライアンス責任の関係について、次の3つの中から一つを選び、その理由を300字前後で述べてください。 

① 収益(性)最大化が経営の目的関数で、コンプライアンス責任を全うすることはその ための制約条件の一つ

② コンプライアンス責任を最大限果たすことが経営の目的関数で、収益責任はそのための制約条件の一つ 

③ どちらも同時に最大化すべき目的関数 
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私はレポートにこう書きました。

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 私は「①収益最大化が経営の目的関数で、コンプライアンス責任を全うすることはそのための制約条件の一つ」を選んだ。

理由:
 企業が目指すべきことは、“継続的な”価値創造であり、その指標が収益最大化となる。収益最大化とは、売上や売上総利益などの規模を追求するのではなく、キャッシュフロー経営を前提とした株主価値の最大化である。しかし、短期的な株主価値(株価最大化)を追求すると、不正や癒着、放漫な情報開示が起こる。エンロン事件やライブドア事件などがその最たる例である。短期的な株主価値だけの追求を避けるためには、適切なモニタリングとディスクロージャーといったコンプライアンス責任が制約条件となる。企業が目指すべきことは、コンプライアンス責任を果たしながら、収益最大化を目的関数に置く継続的な価値創造経営である。
(292字)
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5日間の講義では他の受講者との議論、講義後は課題図書を読み、毎日レポートを出すということを繰り返して、最後のレポートには下記の総括を書きました。

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学んだこと(総括)
 コーポレート・ガバナンスは時代と共に、そのあり方が変わるものである。誰が、何を統治するかは社会的要請によって変わる。しかし、会社の構成要素である株主、取締役、執行チームが、共通の目的関数として継続的な価値創造を掲げ、各要素が単一機能を担うことは普遍である。株主(国民)は株主資本と人的資本を提供し、取締役会は株主のエージェントとして監視・監督機能を担い、執行チーム各ステークホルダーと共に価値創造に邁進する。プリンシパル-エージェント構造は重層に連鎖しながらも、1つの円で繫がっているのである。適切なガバナンス・システムを機能させるためには、その社会的前提であるAdam Smithの”Every individual endeavors to employ his capital so that its produce greatest value”の考えと「天職」に対する意識が浸透していなければならない。まとめると下図の通りになる。
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今年も多くのCMが炎上し、一部では不寛容な時代になったと言われています。法令順守以上のコンプライアンスに絶対的な基準があるわけではなく、その基準は時代の社会的要請とともに変わります。時代の社会的要請を察知し、自社のコンプライアンス水準を定め、ガバナンスシステムに組み込むことが、結果として企業が継続的に利益を出すことができると思うのです。

「経営財務入門」のもう一人の著者である髙橋 文郎先生の授業の一つに「ビジネスフィロソフィー」というものがあり、”この科目は、哲学・思想・社会科学等の古典との対話を通して、グローバルで活躍するビジネスパーソンに必要とされる幅広い教養や考え方を身につけるとともに、現代社会が直面する問題点について考察することを目的とします。”という趣旨で講義が行われました。

私はこの講義に触発されて、JIAAのネイティブ広告活動の初年度最後のセミナーオープニングスピーチに「ソクラテスの弁明」「国富論」「道徳感情論」「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の一部を引用させていただきました。






利益追求の目的関数に対して、制約条件といったルールがなければ長期的にみて市場は崩壊する、といった持論はこうした背景から生まれたものでした。

しかし、業界団体の役割は新たなステージを迎えつつあると感じています。例えば、ステマ(スティルスマーケティング)問題。ステマの発端はブログでした。個人が企業から金銭をもらって提灯記事を書き、関係性の明示をしない。それは消費者を欺く行為として多くの企業や有名人が炎上して事業撤退や謝罪が行われました。ここでいうステマの対象は「口コミ」であり、「広告」ではありませんでした。昨年、週刊ダイヤモンドが切り込んだステマ問題は、広告会社やPR会社がWebメディアに対してお金を払う代わりに提灯記事を書いてもらい、広告表記を行わないといったもので、このステマの対象は「広告」でした。そして、今週の週刊新潮で記事になったステマの対象は「テレビ番組」でした。

同じステマの問題でも、口コミのガイドラインはWOMマーケティング協議会、ネット広告のガイドラインはJIAAといった業界団体の役割分担では対応しにくくなっているように感じます。ステマ問題は、ソーシャルメディア、ネット広告、テレビ番組と横串に発展していて、それぞれの業界団体が連携しながら、一つの問題に対処していかなければならないように思います。

今、私が問題意識を持っているのはインスタグラムマーケティングです。昨今、企業からのニーズは高く、多くの事業者が参入しています。現状のインスタグラムマーケティングのビジネスモデルは、フォロワー課金と言われるもので、インスタグラマーに投稿してもらうために1フォロワー5円前後の価格が設定されています。つまり、フォロワーが2万人いるインスタグラマーに投稿してもらうためには10万円程度を企業は支払います。関係性の明示は、ハッシュタグで#PRや#ADなどとつけていますが、たまについていないものも散見されます。

フォロワー課金そのものを否定することはできませんが、本質的な問題はインスタグラムのフォロワーは買えるということです。「インスタグラム フォロワー」などで検索すると、1ヶ月で1000人フォロワー増加!といった謳い文句で各種サービスが出ています。こうして増やしたフォロワーのほとんどは、BOT(機械)のフォロワーであって、実際の人間ではありません。実際にインスタグラマーのフォロワーを見れば、アイコンがない、投稿がゼロ、フォローされている人もゼロといったBOTフォロワーが存在することがすぐにわかります。つまるところ、企業は、偽装フォロワーに対してお金を支払っていることになるのです。実際に、インスタグラムのインフィード広告にも下記のような広告が出稿されています。
























一部の問題が取り沙汰されて、全体に疑義がかかる。真面目にコツコツとやっている事業者に「御社は大丈夫ですか?」と問いかけられ、説明対応に追われる。そんな不健全な状態でいいのでしょうか。建設的摩擦は業界発展のために必要ですが、敵をつくってPR業界や広告業界全体が白い目で見られることになっていいのでしょうか。

もっとPR・広告業界は楽しいものであったように思います。情理論で片づけるつもりはありませんが、一体何のために仕事をしているのだろうか。人生の多くの時間を捧げて世に何を残したいのでしょうか。その仕事は誰かの役に立っているのでしょうか。仕事という人生の大半を占めるものに向き合う姿勢や美学、ひいては一人ひとりの人生哲学に関わってきているような気もします。

ソロバンも大事だけれど、ロマンも大事。

利益を追求するという目的関数と、社会的要請であるコンプライアンスという制約条件をセットに考えて、市場を健全に発展させ、評論家の立場でなく、事業を通じて、自らが先頭に立って来年もより良い社会をつくっていきたいと強く思います。

つらつらと偉そうなことを書いてしまいましたが、私がこのように考えることができたのも、クライアントやパートナーはもちろんのこと、いつも一緒に仕事している社員や、業界団体の皆さん、同業界の仲間たちに支えられているからに他なりません。改めてこの場を借りて感謝の意をお伝えしたいと思います。ありがとうございます。来年も引き続きよろしくお願いいたします。

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